翻訳が正しい理由で注目される日 (国連決議A/RES/71/288について)

翻訳が正しい理由で注目される日 (国連決議A/RES/71/288について)

翻訳が正しい理由で注目される日 (国連決議A/RES/71/288について)

 

国連総会は5月24日、「国どうしを結び、平和と理解、発展をはぐくむうえで専門の翻訳者が果たす役割」を重視する国連決議、A/RES/71/288を採択しました。翻訳は世の中になかなか認めてもらえない分野だけに、これは喜ばしいことです。 また、同決議にて、9月30日が公式に「国際翻訳デー(世界翻訳の日)」と認定されましたので、カレンダーに印を付けておきましょう。

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ローカリゼーション業界のインフルエンサーとしてメッセージを発信し続けてきた元MoraviaのRenato Beninattoは、現代社会における翻訳の地位を表す数々の言葉を残しています。たとえば、「翻訳とは、トイレットペーパーのようなものだ。なくなって初めて、そのありがたみに気づく」。 核心を突いていますよね。また、こんなことも言っています。

「ニュースになるのは誤訳だけ」

実際、インターネット上には誤訳を面白おかしく紹介する話があふれています。Braniff航空のスローガン「Fly in Leather (革張りシートで空の旅)」のスペイン語訳「Vuele en cuero」が、「裸で空の旅」に値することが後に発覚した件。ケンタッキーフライドチキンの「Finger lickin’ good (指をなめちゃうほど、おいしい)」の中国語版吃手指 」が、実は「指を食いちぎろう」を意味していた件、などがあります

90年代に、タッチパネル搭載PC「Touch Woody」のキャッチフレーズ、「Touch Woody: The Internet Pecker」に関する問題点を指摘されたパナソニックが、同商品のグローバルリリースを急遽延期した話もネット上で有名です。

いずれも、訳や表現に問題がなければ、ここにこうして取り上げられることもなかったでしょう。正しい翻訳とは、特に意識されることなく本来の役目を果たすもので、注目されるべきはメッセージや商品であり、翻訳は空気のような存在であるべきです。言い換えれば、必要でありながらも存在感を消した「黒子」の状態が、理想形というわけです。

そんな黒子がスポットライトを浴びてしまった失敗例に、改めて焦点を当てるのは忍びないことですが、過去から学ぶことで、それらに価値を持たせることができますので、悪しからず。

誤訳にまつわるハプニング

サン ピエトロ大聖堂 モーゼ像実のところ、国際翻訳者連盟はすでに1953年から、9月30日を「世界翻訳の日」と定めています。翻訳者と司書の守護聖人である、聖ヒエロニムスの祝祭日です。ヒエロニムスは、当時一般的だったギリシャ語からではなく、オリジナルのヘブライ語からラテン語に旧約聖書を翻訳したことで知られています。皮肉なことに、ヒエロニムスの翻訳版にも誤訳がありました。そのおかげで、シナイ山から下りてきたモーゼは、頭に角を生やしていたことになりました。元来ヘブライ語には母音を表す文字がなく、「karan」という単語(光輪のような輝きを意味する)を、「keren」(角がある)と誤読したためです。聖人といえども無謬ではない、といったところでしょうか。

誤訳にまつわるハプニングとしては、時の国務長官、ヒラリー・クリントンがロシアのセルゲイ・ラブロフ外相に送った「リセット」ボタンが有名です。ボタンにはロシア語でリセットを意味する「perezagruzka」と書かれるはずが、過積載を意味する「peregruzka」というラベルが貼られていました。これでは関係改善どころか、皮肉と受け取られかねませんね。

まだまだ低い認知度

国連のプレスリリースによると、国連決議A/RES/71/288の草稿はAndrei Dapkiunas氏(ベラルーシ)が執筆したということです。氏は、この決議には、外交と国際情勢に深く関わる職業をただ尊重するという以上に、広く深い意味があるという点を強調し、次のように語っています。

「大切なのは、機関や団体ではなく、まず何よりも人である。言語をなりわいとする、ひとりひとりの作業者、そして名もない功労者たちだ。 文化と言語にいっそうの敬意を払えば、融和が広がり、文明と文化の橋渡しができるにもかかわらず、言語が人間社会で果たす役割は過小評価されている」

 よくぞ言ってくださいました、Dapkiunasさん!

翻訳に関連してもうひとつ、国連で採択された決議がA/71/757です。A/69/324の決議に従って、国連の組織内で「多言語主義」を推進するという内容です。A/69/324のもとになったのは、国連の中核的な価値として多言語主義を主流に押し上げようとする2014年のレポートA/69/282でした。そのなかの「人材管理」という項では、「スタッフの間で多言語主義が広がれば、多様な環境で国際的な理解と対話、融和が進み、相互の寛容が深まる」と述べられています。 少なくとも国連の場では、言語と翻訳が添え物のような扱いを受けることはなくなるということです。

人助けの現場に「声」を届ける

国境なき翻訳者団(Translators Without Borders、TWB)」という名前に聞き覚えがあるのではないでしょうか。TWBは、ユニセフや国境なき医師団など世界中で人道援助に当たっている非営利団体に翻訳サービスを提供する非営利組織です。紛争地域などにボランティアが駆け付けたとき、生命に関わるコミュニケーションや緊急援助活動の妨げとなるのが「言語の壁」です。TWBはこのような言語による障壁を取り除くことを活動目的としています。

ご興味のある方はGlobally Speakingのポッドキャストで、TWBの活動についてお聞きいただけます。TWBの創始者であるLori Thicke氏、TWBで緊急対応の責任者を務めるEllie Kemp氏、MoraviaのMichael Stevens、そしてRenato Beninattoが人道支援のための翻訳について語っています。

ポッドキャスト009: When Translation Saves Lives: The Vision of Translators Without Borders(翻訳が生命を救うとき:国境なき翻訳者団のビジョン)(英語)

ポッドキャスト029: Translation and the Ebola Crisis: How We Can Help(翻訳とエボラ危機:いかにして危機を回避したのか)(英語)

翻訳とエボラ危機:いかにして危機を回避したのか

1977年に、ジミー・カーター大統領がポーランドの国民に送ったメッセージの中で、「私が米国を去ったとき(when I left the United States)」となるべきところが、「私が米国を棄てたとき(when I abandoned the United States)」と訳されたり、「みなさんの将来の夢(your desires for the future)」となるはずが、「みなさんの将来の色欲(your lusts for the future)」と、誤訳されたことは歴史に刻まれた事実です。死ぬほど恥ずかしい思いをした人物がいたとしても、実際に命を落とすことはありませんでした。しかし、近年の危機的状況における誤訳は、文字どおり人の生死を左右しかねません。

全世界の翻訳者にとって、9月30日が特別な日になることを願わずにはいられません。翻訳という仕事が公に認められ、誤訳以外で翻訳がニュースになった記念日と言えます。1日に何千ワードという翻訳をこなす中で、ときには疲れてしまい、翻訳という仕事が軽んじられているように思うこともあるでしょう。そんなときは、ぜひ手を休め、思い出してみてください。あなたの、その翻訳こそが、人々に大切な情報やメッセージを伝え、これからの社会を明るくするのに貢献しているのだということを。


 [編集メモ:この記事は、2017年6月に投稿した内容に加筆・訂正したものです。ダグラス・マクゴワン による元の記事はこちらからご覧いただけます。] [編集: MLS] [o/i]

 

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